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報恩講|親鸞聖人の祥月命日に勤める法要

2019年12月18日

浄土真宗のお寺で重要視されている法要で「報恩講(ほうおんこう)」というものがあります。報恩講は、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の祥月命日の前後に営まれます。

今回のコラムでは、報恩講がどのような法要なのかを解説していきます。

報恩講とは

親鸞聖人は11月28日にお亡くなりになられました。東本願寺における報恩講は、毎年11月21日から11月28日の間に行われます。

報恩講は、親鸞聖人の死を悼み、そして私たちに浄土真宗の教えを伝えてくださった恩に感謝をするための法要です。「報恩」とは「恩に報いること」を意味し、「講」には「集い」の意味があります。

つまり報恩講とは親鸞聖人の恩に報いるための集いなのであり、浄土真宗の門徒にとって最も重要な年中行事なのです。

また、本山での報恩講は「御正忌報恩講」と呼ばれます。浄土真宗の本山は、東本願寺や西本願寺などがあります。

東本願寺の御正忌報恩講は、「逮夜(たいや)」という午後のお勤めから始まります。そして翌早朝の「晨朝(じんちょう)」、昼前の「日中(にっちゅう)」という「一昼夜法要」を7回お勤めします。

「逮夜」とは、命日や忌日の前日の夜のことです。「晨朝」は午前6時ごろ、「日中」は正午ごろの勤行を意味します。

また、本山以外でも各寺院で報恩講が執り行われます。日程は寺院によって異なりますので、参拝の際は事前に確認をしてください。

報恩講のはじまり

さて、浄土真宗で代々続いている報恩講ですが、はじまりはどのようなものだったのでしょうか?

報恩講は親鸞聖人が入滅された後、門弟たちが親鸞聖人の命日にお勤めをしていたことがはじまりとされています。

親鸞聖人は1262年11月28日(陰暦)に入滅されました。親鸞聖人の命日の際には門弟たちがお勤めをしていたのですが、当時は報恩講とは呼ばれていませんでした。

三十三回忌の際に、親鸞聖人の曾孫にあたる覚如上人(かくにょしょうにん)が「報恩講私記」を撰述され、親鸞聖人への報恩謝徳の思いを表します。これが報恩講の正式なはじまりです。

当時の報恩講は親鸞聖人の月命日に行われていましたが、第八代蓮如上人の頃から、祥月命日にかけて一昼夜の法要を7回行うお勤めに方式が変わりました。これが本山での「御正忌報恩講」のはじまりです。

このような経緯を経てはじまった報恩講は、各地の寺院に広まっていき、浄土真宗の門徒にとって最も重要なお勤めになりました。

報恩講の最後には、親鸞聖人が記された「恩徳讃(おんどくさん)」を讃嘆します。恩徳讃は浄土真宗門徒の間で古来より親しまれてきました。

如来大悲(にょらいだいひ)の恩徳は、身を粉にしても報ずべし
師主知識(ししゅちしき)の恩徳も、骨を砕きても謝すべし

恩徳讃には、阿弥陀如来様や仏教の師に対する返しても返しきれない恩の気持ちがしたためられています。報恩講のお勤めは、恩徳讃を記した親鸞聖人と同じようなお気持ちで、親鸞聖人の恩に報謝することが大切なのです。