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「信じる」という言葉があります。そもそも「信じる」とは、どういうことでしょうか。「鰯の頭も信心から」という諺もあるように、なんでも「ありがたや、ありがたや」と頼んでいれば、幸せが来るのでしょうか。
あるテレビの番組で100ほどの仏像を安置しているご家庭を紹介していました。家主は「私は仏像に日々の幸せを願っています。信心深いですからね」とおっしゃったのです。しかし、それは信心深いのではなく「欲深い」のでしょう。欲望を叶えるために、仏像を集めているに過ぎません。
またある人は「私は信心を持つために、お墓参りを欠かしません」とおっしゃいます。仏事としてとても大切なことですが、本当に信心のある人は間違っても自分からそうは言いません。
仏教は、たくさん供養するとかしないという外見上の問題ではなく、「たったひとつでいい。本当の信心を獲得することが大切だ」と教えてくれます。信心とは、確実なものを信じるということです。例えば、天気予報で「明日は雨だ」と言われても、それは確実なものではありませんね。当日、雨を目の当たりにしてこそ確実なものとなり、信じることができるのです。
自然災害を目の当たりにして、物の豊かさだけでは幸せにはならないということがわかってきました。むしろ、「心の依りどころ」を求めてやまない人が増えてきました。貧しいとか豊かであるかではなく、「この人生に生きる意味があるのかを知りたい」「虚しい人生で終わりたくない」という悲鳴が聞こえてくるようです。その目の前にある「事実」に向き合い「虚しさ」を本当に超えてゆける道が「信心」なのです。
今日もあなたにとって嬉しいこと、逆に受け入れられない辛いことがあったかもしれません。それでも「今、このままの事実をいただく」ことで、明日からの私に大きな希望がいただけるのではないでしょうか。
