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退屈

2025年07月09日

この【退屈】という意味は、現代では「暇で飽き飽きすること」という意味ですが、もとは「仏道修行の厳しさに屈し、退いてしまうこと」を意味します。「仏道に生きようと決心をした者が志半ばで挫折した。そのまま志を見失ってしまえば死んだも同然、あとは暇で飽き飽きした人生があるのみ」となったのでしょうか。この意味は、日本で独自に展開したものだそうです。展開する意味の中に、幾多の挫折した先人のうめき声が聞こえてくるようです。

ところで、現代は「暇で飽き飽きすること」すら許さないかのごとく、様々な情報が絶えず耳に流れ込んできます。疑問無しに、その情報を追っていけば、次々と「したいこと」が反射的に沸き起こってきて、刺激的な人生を歩むことができるのだと。もしかすると、現代の日本では「退屈」の意味が「刺激的な情報が遮断されたとき」に展開してしまってはいないでしょうか。

退屈の心は「自ら起こす」ものだと記されています。「自分のしなければならないことが見失われてしまった」と、自らの起こす黄色信号が「退屈」なのです。「退屈」は暇つぶしで解消させてはいけません。「退屈」そのものが「見失っている志を見つけなさい」と、自らの歩む方向を指し示しているのです。まず「刺激的な情報」から大切な「退屈」を守らなくてはならないのが、現代のようです。