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- 秋になると寂しい
「秋の日はつるべ落とし」という言葉があります。つるべが井戸にストンと落ちていくように、あっという間に日が沈むのが秋です。その移りゆく時の流れの早さから、気持ちが落ち込むかたも多いようです。なぜ人間は季節の移り変わりで寂しさを感じるのでしょうか。
ある本に「夏は本能で生きる。なぜなら裸になり開放的になるから。しかし、秋はそれがなくなり、理知的になって寂しく感じる」という一文がありました。たしかに夏は四季の中でも活発感が出る季節です。本能で生きようとするのでしょう。その夏が過ぎると、気温の変化とともに服を身にまとうようになります。すると心も理性という服に包まれて、物事を冷静に考えるようになっていくのでしょうか。
人間には「煩悩」があります。煩悩とは「無明煩悩われらが身にみちみちて」と親鸞聖人は仰るように、身と心をまどわす欲望や怒りのことです。何をきっかけにして煩悩が悪さをするかは分かりません。そうならないために、自分を律します。例えば、立場をわきまえるという意味で、制服を着るというのも納得ですね。では、規制だけが煩悩を抑える方法なのでしょうか?親鸞聖人は「煩悩を取り去ることを目的とするのではなく、むしろ煩悩の中にひそむ人間の本質を見る」ことを大切にされました。
人間には二つの生き方があります。一つめは「自我によって生きる」ことです。自分の思いを押し通そうとし、他者と戦うことしか考えられない生き方です。しかし、自己を主張すればするほど孤立することになります。二つめは「いのちを主として生きる」ことです。そこには自我の主張はなく、「尊いご縁の中にこの私も包まれて生きている」と、すべての存在に頭が下がる姿だけがあるのです。
自分の思いどおりには生きられない。この大きないのちに包まれて生きていることを知らされれば、人はもっと豊かな心で生きることができるのです。
寂しくなったら、寂しいままに生きればいいのです。そんなあなたを阿弥陀さまの慈悲が包んでくださいますよ。
