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三帰依(パーリ文)

2022年04月24日

Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi|

ブッダン サラナン ガッチャーミ:私は仏陀に帰依します

Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi|

ダンマン サラナン ガッチャーミ:私は法に帰依します

Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi|

サンガン サラナン ガッチャーミ:私は僧に帰依します

三帰依は、宗派関係なく仏教徒であれば唱える文言です。インドでも僧侶や仏教徒が三帰依を唱えます。真宗大谷派では、以下の三帰依文(さんきえもん)を唱和します。

三帰依文

人身(にんじん)受け難(がた)し、いますでに受く。仏法(ぶっぽう)聞き難(がた)し、いますでに聞く。この身(み)今生(こんじょう)において度(ど)せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。大衆(だいしゅう)もろともに、至心(ししん)に三宝(さんぼう)に帰依(きえ)し奉(たてまつ)るべし。

自ら仏(ぶつ)に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生(しゅじょう)とともに、大道(だいどう)を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。

自ら法(ほう)に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生(しゅじょう)とともに、深く経蔵(きょうぞう)に入(い)りて、智慧(ちえ)海(うみ)のごとくならん。

自ら僧(そう)に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生(しゅじょう)とともに、大衆(だいしゅう)を統理(とうり)して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。

無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遭遇(あいあ)うこと難(かた)し。我(われ)いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来(にょらい)の真実義(しんじつぎ)を解(げ)したてまつらん。