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戒と律

2023年06月24日

 仏教というと、出家生活や厳しい戒律を守るなどといったイメージをする人もいるでしょう。「戒律」とはいったいどういうものでしょうか。

 「戒(シーラ)」は、「道徳」と訳される「モラル」や「倫理」のもとになるギリシャ語の「エースト」と同様、「自発的な行動規範」つまり「よい習慣」という意味です。内面的自発的なことであり、罰則はありません。

 「律(ヴィナヤ)」は、本来は「(怒りや欲と)反対方向に導く」という意味で、僧伽の集団としての規則です。自発的に守るものですが、罰則がある場合もあります。律は、私たちが犯してしまいがちな罪を行わなくてすむよう抑制するブレーキとなります。そのため、行住坐臥(歩く・止まる・座る・臥せること)についても細かく、なすべき事・なすべきでない事が示されています。

 「戒」と「律」は、思うままに振る舞うと抑制がきかなくなる私たち人間の傾向をよく見抜いた上で、目先の誘惑や欲望に振り回されないよう、必要なところでブレーキをかけてくれるのです。人間が弱く愚かで煩悩に振り回される存在であることをしっかりと見つめたところに制定されたもので、人間を束縛するためのものではありません。

 私たちの身体は、基本を繰り返し身につけることで、生活リズムが整い、心身のバランスをとることができます。仏教の基本は、極端を離れてバランスよく進むことです。つまり、睡眠や食事の偏りは、心身に重大なストレスを与えます。知らぬ間にイライラしたり、集中できなかったり、続かなかったり、我慢ができなくなります。心身がバランスよく疲れて必要十分な深い眠りが大切なのです。規範ある生活の基本的習慣がしっかりすると、心の基点が定まり、眼が開き聴く姿勢ができるということです。