お知らせ

報恩

2023年10月26日

私たちは、どうなったら幸せだと感じるでしょうか。欲しいものが手に入ったとか、思った通りに物事が進んだとか、抱えていた嫌な問題が解消したとか。いずれにしても、求めていることが自分に都合よく実現することや、自分の予定通りに物事が進むことで幸せを感じますよね。つまり、要求が都合よく充足された時に満足すると思っているのです。そして、上手くいったのは自分の知恵と努力の成果だと思っていませんか。

しかし、よくよく振り返ってみると、私が単独で何かを成し遂げるなどということがあるでしょうか。私が生まれたのも、今日まで生きてくることができたのも、隅からすみまで誰かに助けてもらったり、何かに支えられてきたのです。できたこと一つひとつは、想像を絶する様々な要素が関係しあい、またその要素の一つひとつは単独ではないのです。

インドのパーリ語には「カタンニュー(kataññū)」という言葉があります。「カタンニュー」は、中国語に翻訳するのに「恩」という字が使われています。「カタ」とは「なされたこと」という意味で、「ニュー」とは「知る」という意味です。すなわち「なされたことを知る」ということです。

私の心に留められている、してもらったこと、また私を支え成り立たせてくれている全ての要因を「恩」と使ってきました。恩を知り喜び感謝する営みと、少しでもそれに報いたいと思ってできることを惜しまずにさせていただこうという営みを、「報恩」といいます。

私たちは、親鸞聖人のご命日を縁として「報恩講」をお勤めします。これは、単に恩があるからお返しをするということではなく、私が生きるということを支え、成り立たせている根源的なことに思いをいたし、報恩行につとめようという思いを確かめる仏事なのです。この私は、いつでも、どんな状況であっても、仏様から願われた存在であり、目覚めを促すはたらきをいただいているのだと、人生をかけて明らかにしてくださった親鸞聖人の教えを確かめなおすのが「報恩講」の大切な意義なのです。