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浄土

2023年12月24日

 日本で一般の家庭の中へお内仏(お仏壇)が安置されるようになったのは、真宗門徒の家がその始まりのようです(上流階級では屋敷の中に持物堂を持つ者もあった)。はじめは、「南無阿弥陀仏」や「帰命尽十方無碍光如来」という「お名号」(私たちにはたらいている仏様のお名前)を掛け軸にして、床の間の中央に掛け、その前に、左にお花を、中央に香炉を、右側に燭台を置いた形でした。 室町時代に蓮如上人は、たくさんのお名号を書き与えています。その後に、その配置のまま、現在に馴染みのある、扉のついた箱に納めるような形になっていったようです。

 では、どういうことから私たちの先達は、お寺だけでなく、自分の家の中に小さなお寺のような形(お内仏)を取り入れたのでしょうか。

 それは、真宗門徒は、家の中にお浄土を感じる空間(仏間)を持とうとしてきたわけです。家の中にお浄土とふれ合うことのできる場を用意したのです。そして、何か特別なことがあった時にだけ、意識的にお内仏に手を合わせたり、お勤めをするのではなく、何があってもなくても、年中毎日、朝夕お内仏の前で手を合わせ、お勤め(親鸞聖人の言葉にふれる)することを日常の中の習慣として、しかもそれは家族そろって行われてきました。いただき物があればお供えして、その「お下がり」として仏様からいただくのです。

 私たちは、念仏生活といいながらも、やはり損得や勝ち負けで生きています。無意識のうちにそういうことに振り回されて生きている。そのような私たちは、時々お内仏という「お浄土」の前に身を置き、手を合わせてみた時に、私たちが意識から外していたものを思い出す。あらためて意識化される。それを繰り返すということです。私たちは大事と思っていても、すぐに忘れたり、意識からどこかへ飛んでいったりするのです。それが、お内仏というお浄土を前にして、ご本尊(仏様)に手を合わせ、南無阿弥陀仏というお名号、お念仏を称えることで、忘れていた大事なことがよみがえってくる。我に返るというか、自分を取り戻すのです。

 私たちは現実生活の中で、どうしても金額・成績・年齢など数量にとらわれます。その「量」に恵まれず苦悩している時に、忘れていた「無量」の世界に安心できる。自分ができないと嘆いている時にこそ本願がはたらいてくださっていると気づかせてくれる。また、歪んだ人生の方向性や価値観を、本当に尊い世界へと正してくれる。そういう習慣のためにお内仏のある生活が必要なのです。