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聞法

2024年01月28日

 「あなたは人生で何を一番大事にしながら生きていますか?」という問いに対して、日本では「健康」と「お金」と「家族の無事」という答えが多いそうです。昔から、神社などのご利益の札にも「無病息災」「商売繁盛」「家内安全」が掲げられていますね。それぞれに大切なことですが、例えば、小さな子どもに「健康になって、それからどうするの?」と問われたら、どう答えますか?「そこは、はっきりしないけれど、とりあえず健康になっておかないと」というところでしょうか。

 希望するが学校へ進学したいと懸命に勉強したのに、合格が決まった途端に、その後どうしていいかわからなくなって、呆然として過ごす学生もいます。便利な道具や設備などによって、効率的に仕事や家事もできるようになり、そのために原発までつくりましたが、それによって何を目指したのでしょう。経済発展さえすれば幸せになれると考えて経済大国になりましたが、貧困率の高さや心の病の多さなど、こんなはずではなかったという状態ではないでしょうか。

 私たちは、本当に目指すべきことがわからないために、「とりあえず」にしか目が向きません。また、私たちは、請求通りに都合よく充足されることを求めて、その妨げや不都合を遠ざけながら生きています。それも、「とりあえず」ですね。

 真宗大谷派の子ども会や幼児施設では、「わたくしたちは、仏の子どもになります。わたくしたちは、正しい教えを聞きます。わたくしたちは、みんな仲良くいたします」という言葉を全員で唱和します。それぞれ「私たちは目覚めたものに成ることに向かって生きていきます。わかっていない私たちは正しい教えを聞き続けて生きていきます。私たちは争わない世界を生きていきます」ということでしょうか。

 亡くなられたときに「往生の素懐を遂げられた」という言葉を言います。「素懐」とは、「兼ねてから心に抱いていた願い」という意味です。その人の気づいていないかもしれない、心の奥底でいつも願っていた思いというか、こころざしですね。本当のところは「浄土に往って生まれたい」と願いながら生きてこられ、今その願いが遂げられたということでしょう。その往生の前が「生前」です。

 今、私たちは、いわば「目覚めたものに成る前、生前の修行中」なのでしょう。