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六道輪廻

2024年02月28日

 私たちは幸せを求めて生きています。私たちが求める幸せとは、健康で長生きできて、衣食住に困ることのない、快適な状態でいることでしょう。不都合が少なく、物に恵まれて歓楽に飛び回ることができる「天人」のような生活。しかし、それが本当の幸せと言えるのでしょうか。そんな生活は、環境や条件が変わると、あっという間に辛く苦しい状態となって続きませんし、失う恐れや不安を抱えて、喜びもなく手応えもありません。

 お釈迦さまが誕生された際の伝承の1つに、生まれてすぐに「七歩」歩まれたというお話があります。お釈迦さまが私たちの迷いの状態である「六道」を出られた方であるということを伝えています。それはどういうことなのでしょう。

 「六道」とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天人道という6つの状態で、最初の3つを三悪道とか三途(三塗)と言います。

 まず「地獄道」とは、常に不安と恐れに苦しむ孤独で安心のない世界です。「餓鬼道」は、食欲・性欲・名誉欲・利欲に振り回され、物惜しみをし、嫉妬深く満足を知らない世界です。「畜生道」は、本能で生き、使役されるがままに流され、自立の意欲なく他者に依存し続けます。「修羅道」は、独善的で、憎しみ怒りに我を忘れ、戦いを繰り返し落ち着くことがありません。「人間道」は、現前の苦しみだけでなく、まだ現実化していない不都合(老死や別れなど)を勝手に予想して苦しみます。四苦八苦といいます。「天人道」は、「天人の生活」ですが、比較的好都合な状態のみを受け入れ、それに浮かれて、本当に考えなければならないことには思いが至りません。また不都合に出会わないように、逃げたり目をそらせたり、逃げられないことは見ないように、考えないように話題にもしません。

 つまり、私たちが目指している「天人の生活」は、六道の中のことであり、ただぐるぐる回っているだけなのです。安心が続くことはありません。そういう迷い続けている状態を「六道輪廻」といいます。そして、その原因は三毒の煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)にあると言われます。つまり、私たちの際限なく貪り求める心、比べて憎しみや怒りを抱く心、本当のことを知らないという無知によって、六道から出られないのです。

 例えば、崇高な芸術にふれて天上界に遊んでいるような心持ちになっていても、帰りの電車の中で足を踏んだ踏まれたと喧嘩して修羅道に落ちてしまいます。

 六道の世界は、好都合・不都合にしか関心を向けない私たちが作り出した世界かもしれません。そんな私たちは、どこで、出会う全てを引き受けて、安心して生きていくことができるのでしょうか。